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風 呂

俺の実家には家風呂がない。
当時実家の近くには4軒もの風呂屋があり、毎日風呂屋通いだった。
雨の日なんかは外に出るのがおっくうで、ず〜っと家風呂に憧れていたが、友達を誘って風呂屋に行くことも楽しみの一つだった。

塾など何もないときは夕方5時ぐらいから友達と入りにいく。夕食時の7時近くまで約2時間 遊びながら入るので手足はふやけてシワシワだった。。。

夕方に入るといつも来ている常連のオッサンがいて、俺たちが騒ぐもんだから 「お前らやかましいんじゃ〜 静かにせぃ!」 とよく怒鳴られた。
怒鳴られるとこっちも腹立つので、なにか仕返しをしてやろうとたくらむ。オッサンが頭を洗ってシャワーで流している時、気付かれないように上からオッサンのシャンプーをかけ続けたり、オッサンの背中にションベンをかけたり。。。オッサンもシャワー中は目をつぶっているので気付かれない。

水中メガネを持っていき、湯船ダイブと称してどれぐらい潜れるか勝負したりするので風呂屋の大将からもよく怒られた(^^♪

一度野球の帰り、汚れたユニフォームのままでみんなで入りに行ったら大将が 「お前ら、きったない格好で来やがって。。。ちょっとキレイにしてから来い!」 と言うので、「じゃあオッちゃんは散髪行く時、ちょっと髪の毛カットしてから行くんか」 と屁理屈を言って怒鳴られた事がある(^^♪
だいたい昔からそんな “いらん事いい” だった。

大学を卒業して自活したとき、自分の部屋に風呂があるのが嬉しくてたまらなかった。
最近の若いのは公衆浴場などでも、そのマナーのなさに周りが迷惑することがあるらしいが、息子に公衆浴場の入り方を伝授しておく必要があると思う。
風呂の入り方(作法)って、ありまんねんで! 知ってた???

派 閥

6年生の時に、クラスで男子生徒間の派閥があった。
どちらも勉強が出来て野球も上手く、何かにつけてリーダータイプの2人だった。
香山派初田派 (どちらも仮名)

俺は元々いっちょかみな性格だし、みんな仲良くしたいタイプだからどちらの派閥にも入っていなかったが、ある日 校庭で香山グループが遊んでいたのでいつもの調子で入っていったら香山が 「お前、初田のグループと違うんか!」 と嫌味を言ってきた。
もっと言うと、俺は別にどちらもリーダーなんて思っていないし、認めているわけでもなかった。
コイツは味方、アイツは敵みたいな考え方があまりに偏狭だと思うし、言い方も偉そうだったのでムカッときて、「お前何様のつもりじゃ」 と言ってボールをぶつけてその場を立ち去った事がある。

派閥を作ったり、こんな考え方する奴は昔から大ッ嫌いだ!

俺の住んでいる関西の地方都市でも 【おまえヨソ者、俺ら地元住民】 こんな偏狭なものの考え方をする。 アホかっちゅうねん!

そもそも何が原因で派閥が出来たのかは今となっては分からない。卒業するまでにはグループなんていつの間にかなくなっていたが、6年生の一時期 クラスの雰囲気が悪かった時があった。


給食

一番嫌いな時間は給食の時間だった。。。
何せ好き嫌いが多かったので食べれるものがなかった。 牛乳ダメ。 マーガリン ダメ。 肉類ダメ。 食べれる食材でも料理の仕方や味付けによって食えないものもたくさんあった。
 
給食が美味いと思った事は一度もない。
柔道をやり始めて好き嫌いが少なくなってきた4年生の頃には、5時間目が始まる寸前まで食べていると言う事はなくなってきたが、依然 “給食の時間は嫌い” と言う思いは変わらなかった。

あのアルマイトの銀色の食器が気持ち悪くて。。。。
中には誰かが噛んだ後なのかガタガタになったヤツや、形が変形しているものもあり、こんな食器が自分の所に配膳されただけで食う気がなくなる。

当時は大して味のないコッペパン(たまに黒砂糖のパンやレーズンの入ったパンもあった)に、メインのおかずが1つに副菜が1つ。それに牛乳。
いまやゴハンがあり、おかずも当時から考えると信じられないようなメニューがあり、これなら当時の俺でも難なく食えたのではないかと言う豪華さだ。。。うらやましい。

嫌な時間を楽しくしよう! と、牛乳を飲んでいる奴の目の前でモノマネをやったり、ギャグを飛ばしたりして笑わせ牛乳を噴き出させる(^^♪
噴き出せば、あたり一面牛乳だらけで大騒動になるが、みな自分が被害者になるのを避けようと「いただきます」のあと、一気に牛乳を飲んで防御していたなぁ(^^♪

それが出来なくなると、さっさと食べて一番前の教壇のところに立ち、漫談やモノマネをして笑いを取る。
普通なら給食時間は「おとなしく食え!」とか「行儀が悪い!」と指導する先生が多い中、担任は何にも言わないどころか「今日は何すんねん?」と楽しみにしてくれているようで、その噂を聞いた他のクラスからも「ウチのクラスにも来て欲しい」とオファーが来るようになった(^○^)

勉強は出来ない、スポーツも大して得意でないが、笑いに関しては学年では目立つ存在だった。。

習い事

幼稚園の時は古武術道場へ無理矢理連れて行かれたが、1回見学に行っただけで入門しなかった。
小学校1年生の時に姉に連れられて習字を習ったが3回で辞めてしまった。先生が恐かったし、正座するのが苦痛でならなかったから。。。
5年の時にそろばん塾へ通い始めたが3級までとったが、合計年数1年半で辞めた。
柔道は中学1年の夏休みまで約3年半やっていたので、そう思うと何事も飽き性の俺としては良くやっていたほうだと思う。。。 1級。これが最終段位。

しかし柔道をやり始めて風邪を引かなくなった。 食事する時間が早くなり食べる量が格段に増えた。 嫌いだった肉などが食えるようになり、好き嫌いが少なくなってきた。
一番の変化は何よりも負けん気が出てきた事。
この変化は後々に大きな影響を与える事になる。高校でボクシング部に入る事になるのだから。。。。

柔道少年

とにかく食べ物の好き嫌いが多かった俺は、給食の時間は学校生活の中では一番苦痛の時間だった。
2年生までは「嫌いなものは残してもいい」と言われていたが、3年生からは「嫌いなものも食べなさい」と言う先生だったので、苦痛の度合いがさらに増した。
牛乳も全部は飲めないなら、せめて半分は飲めと言われて、目に涙をためながら息を止めて飲んだ。
みんなはさっさと食べ終わって、校庭で野球をやったり三歩当てをしたりしているが、俺は5時間目が始まる寸前までモゴモゴやっていたような気がする。

この頃にオヤジに「柔道やってみないか」と言われる。
実家の居酒屋によく来るお客さんで柔道の先生をやっている人からの誘いだった。
アカンタレな俺は嫌がるとオヤジは思っていたらしいが、二つ返事で「やってみたい」と言い出したのでビックリしたと後述している。

ガリガリで何をするにも動作が遅く闘争心など無かった俺だけど、幼稚園の頃 祖母に古武術道場に無理矢理通わされた経験があったし、小さい頃にTV番組「柔道一直線」を見ていたし、ちょうどその頃TVアニメで「柔道賛歌」もやっていたので、どんなもんか?と言う好奇心からであった。
いま思えば、この頃から格闘技への憧れがあったのだとつくづく感じる。


道場に連れられて初めての稽古の日の記憶は未だ残っている。
ブッカブカの道着で受身の練習がメインだったが、寝技の練習で小学校1年の子に押さえ込まれたら身動きが取れない。。。。(-_-;)
初めてのことなのでどうやったらいいのか分からない、という事もあったが周りからは嘲笑のタネだった。
「アイツ3年やろ?? あんな1年のチビに押さえ込まれて何の身動きもとれないなんて、何ちゅう弱いやっちゃ!」
押さえ込まれて下になりながら、そんな声が耳に入ってくるとよけいに萎縮してしまう。
さらに、通いだして色々な技の掛け方を教えてもらうが、相変わらず1年には投げ飛ばされる始末。。。。
子供の頃のスポーツって、最初が肝心。
一番最初に「コイツは弱い」とか「ダサイ」とか思われてレッテルを貼られたら、ず〜とそのイメージが付きまとう。
柔道は始めてみたものの、アカンタレが際立つ最悪のスタートだった。

勉強嫌い

小学校の1〜2年までは宿題らしい宿題はなかった。(いま小学校の息子を見ていると、毎日のように宿題があって可哀想だなぁと思う)
夏休みの宿題「夏の友」や、自由研究なんか完璧にやった記憶がない。。。
それでも担任の先生は怒らなかったし、今から思えばかなり大らかな先生だったように思う。『佐藤先生』と言って、もうすでに定年間近なお爺ちゃん先生だった。
もう36年も前の話。恐らく先生はもう亡くなっているだろうと思う。

1年生の頃までは祖父母の家で育ったこともあって、祖父母も「勉強せぃ〜〜!」 とは一言も言わず、どちらかと言えば 「勉強するヒマがあったら遊びに行ってこ〜い!」 と言うタイプだった。

幼少の頃の習慣というのは恐ろしいもので、この頃のことが引きずっているのか、いまだに勉強は嫌いである(^^♪ きっとこの頃に勉強していれば人生変わっていたかもしれない・・・。
幸か不幸か、俺の場合はいまだかつて あの時もっと勉強しておけばよかった とか、勉強しなかった事で後悔したという事はない。
それは遊びの中で自然と身についた、俺の処世術だったのかもしれない。

2年生から実家に戻り、特にオヤジが勉強に関してはうるさかった。
2年生からは九九を習うが、なかなか覚えられない。 と言うか覚える気がない。
学校では覚えるまで毎日居残りさせられたり、家では全段の九九を言うまで外へは出してもらえなかったり、半ベソをかきながらと言う思い出がある。 恐らくこの時のトラウマが算数嫌いにさせたのだと思う。。。


この頃に野球と出会う。
放課後にみんな何やらゴムボールでやっているが、何をしているのか分からない。
下から投げたボールをジャンケンのグーで打って右側に走っている。
「お前も野球やろ〜〜」と誘われてルールも分からず、初めて野球をした。
実は俺の実家の居酒屋には、オヤジの知り合いで当時 南海ホークスのスカウトだった堀井さんと言う人に連れられて、野村さん(現・楽天の監督)が来た事がある。
俺は野村さんとキャッチボールをした事があるらしいが、全然覚えてないっ!

何だかルールはややこしくて訳が分からなかったが、段々と野球にのめり込んで行く事になる。 

お笑い3人組

祖父母の家で生活しているが、小学校は実家の学区内へ通う。
小学校までは実家からは子供の足で約20分ほどだが、祖父母の家からは50分以上かかる。
私立の小学校ならまだしも、都会で公立の学校まで徒歩50分はキツイと思うが、2年生に実家に帰るまで1年間は通い続ける事になる。

幼稚園の時も祖父母の近所の幼稚園ではないから、入園当時は誰一人知り合いはいなかったが、小学校へ入学した時も誰一人 幼稚園時代からの友達はいなかった。
クラスには同じ幼稚園時代からの友達同士が喋っていたりしていたのを羨ましく眺めていた記憶がある。 
それでも卑屈になったり沈んだりという事はなかった。幼な心に “そんなモン” かな、とも思っていたし数日もしないうちに幼稚園時代に培った “いちびり” な性格が徐々に出てくるようになる。

たまたま同じ様な性格のヤツも俺のほかに2人いて、入学して3〜4日ほどで先生からつけられたアダ名は お笑い3人組
自分で言うのもおこがましいが、入学時は誰一人友達がいなかったのが、数日でクラスの人気者になった。

スポーツも別段得意ではない、勉強も出来るわけでもない。
学生時代はず〜と算数・数学が不得意だったが、小学1年からそうだった。特に応用問題(文章問題)なんかでは、例えば ミカンが3個あります。 リンゴが4個あります。あわせて何個ですか? みたいな問題があっても、 「そんなん種類の違う果物なんか合わせられへんやん! 合わせるってゴチャ混ぜにしてジュースにでもするんか??」 と屁理屈を言って、問題自体がオカシイと思うタイプだった。 要は揚げ足取りなだけ・・・(^^♪

そんな奴がクラスで人気者になるには、とにかくオモロイ事。
意識してそうしていたわけではないが、自然とそうしなければいけないと言う義務感を持っていたと思う。明石家さんまではないが、常に喋ってないとじっとしてられない子供だった。

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