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高校入試

高校入試も近くなり、学校では私学の受験予定の高校別に模擬テストが数回あった。
過去5年間の、実際に入試に出た問題をするのだ。
何輪高校を専願で受けると決めてから受験勉強らしきものはしていなかったが、5回あった模擬テストでは併願の合格点数を5回とも上回っていたので、自信をつけたと言うより、調子にのって 「楽勝やん!」 と、さらに勉強はしなくなった。

実際の入試でも楽勝だった。

筆記テストの翌日は面接があり、その頃 俺は長髪だったので、 (さすがにこの長さではヤバイだろう) と思い、翌日に備えて散髪に行ったがここで大失敗した。。。
いつもの散髪屋に行けばいいものを、何を思ったのか違う所へ行ったら、思いっきり刈り上げされて、ザンギリ頭・・・ (ーー゛)
“まるでアホの小学生” みたいなヘアースタイルになった。

こんなん恥ずかしくて歩けるかいな。。。これならスポーツ刈りのほうがまだマシ! と、いつもの店で散髪し直した。 一日に散髪屋を2軒ハシゴするなんて・・・
しかもレイヤーカットが出来るほど長かったのが、一日にして丁稚みたいな頭になった悲しい

面接を終えて学校に帰ってきて教室へ入るなり、俺のヘアースタイルの変わりように
「何や、そのエチケットブラシみたいな頭〜!びっくりと笑いの渦。。。 これ、一生の不覚ですわ!



俺のオヤジの名前は 【益良兵】(ますろべい) と言う。 変わった名前だが本名だ。
面接官から「JOHNNY君のお父さんのお名前、これ何とお読みしますか?」と尋ねられ

「ますろべい です」

「えっ??」

「ますろべい です!」

「ます・・・ろ?」

「ますろべい です!」

「ますろへい?・・・ ますらへい?」

「ますろべい ですっ!」 なんべんも言わせるなっちゅうねん!!(ーー゛)

我が親ながら 「ますろべい」 って・・・なんちゅう名前つけるねん。
元々オヤジは 「かずお」 だったらしいが体が弱かったので、祖母がこれではイケないと思い近くの神社で字画を判定してもらったら、「益良兵」 が一番最適な名前だと言うので改名したらしい。
しかし 【ますろべい】 って・・・やじろべい じゃないねんから。。。

これと同じやり取りが、大学入試の面接や就職試験の面接でもあった。
最近ではオヤジの名前をつかみにして、酒のアテにしているのだから俺も俺か・・・


交換日記

タイプ的にはまんざらでもなく俺もその気になったと言うのか、ハッキリと付き合うと言った記憶はないが、なんかそんな雰囲気になった。

次の日に学校で鈴川から「やっぱりレイジーのファニーに似てるなぁ〜って言うてたで! あの子、ファニーの事めっちゃ好きなんやてぇ」  
当時、レイジーってバンドがいて、その中のベーシストに “ファニー” ってのがいるらしいが・・・そういや何回かそんな事言われた経験はあったが、興味もないし見たこともない。

「でな、交換日記したいって言うてるから、してあげたら」
女の子同士で交換日記しているのは見たことあるが、そんな事いわれても何を書けばいいのやら・・・。 返事はしなかったと思うが、これも何となく黙認するような形になった。

何もかもが初めての経験で、おまけに違う学校だけに共通の話題と言えば高校進学ぐらいなもの。 
デートと言っても塾の帰りに駅まで送っていくぐらいなもんで、誘ってどこかへ遊びに行くってことはしなかった。 
しなかったと言うよりどうしたらいいのか分からん!!(-_-;)


10月ぐらいから付き合いはじめて、初めてのデートらしいものは住吉神社への初詣だった。 喫茶店でお茶を飲んでも会話はほとんどナシ(T_T)
喋っていないと落ち着かないガサツな性格の俺としては拷問にも近いデートだった。。。
デート前に姉からは 「手ぐらいつないで歩きや! 恥ずかしいとか言うてたらアカンで!」 と言われていたが、そんなん出来るほど根性ありまへん!

この当時はハニカミ王子よろしく、純情可憐な美少年。
今ならこの当時の恥じらいはどこへやら、 “チンチンが服を着て歩いているような、日本一 節操のない男” と言われる始末。。。

結局、向井田とは初デートの初詣に行ったすぐあとの交換日記の中で 「別れへん?」 と切り出され、わずか3ヶ月で終わっている。
何の想い出もないので「別れよう」と言われたところで傷つくことも落ち込む事もなかったし、付き合っているのかどうかも自覚のない状態だったから 「あっそう?!」 って感じだったなぁ〜 (~_~)

いやぁ〜 いま思い出しても甘酸っぱい恋愛体験だった。 

初めての男女交際

中学3年生当時、俺はある英数専門の学習塾に通っていた。
英語はハッキリ言って自信はあった。業者主催の模擬テストでも1万人中 90番台と、かなり成績は良かったが、数学は1万人中 9500番台をいつもウロウロ。。。
小学校時代から算数は苦手で九九がなかなか覚えられず、多分この時のトラウマが原因なのかもしれない。

その塾には俺は知らなかったが同じ中学の転校生で鈴川と言う女子がいて、俺の事を知ってくれているようで、「なぁ〜JOHNNYは彼女いてるん?」 と声をかけてきた。

「いてへんよ」

「塾の同じクラスで、隆の里中学の向井田って子いてるやん・・・ その子がJOHNNYのこと一目惚れしたらしんねんけど、どう思う?」 
“どう思う?” と、そんな単刀直入に言われても・・・ また赤面する俺。
クラスには12〜3名いたと思うが、向井田って言われても誰の事か分からんし・・・。

「???誰の事か分からんわ・・・」

「もし良かったら、塾の帰りにちょっと話してみる?」 
何でこんな時って女の子は積極的なんや??? 人の恋路にあれこれ首突っ込んで、愛のキューピットにでもなりたいのか??? と思ったが、 “一目惚れ” といわれて悪い気はしないし舞い上がったのか、どんな子か興味もあったのでOKした。




塾へはチンチン電車に乗って行くが、その日はたまたま鈴川と同じ電車になった。

「向井田さんってどの辺に座ってる子かな」

ニヤニヤしながら 「後ろのドアから2列目の2番目かな、私の横」
俺とは対角線上に位置しているし、学校とは違って授業中に後ろを向く事はほとんどないので知らなかった。
続けて 「結構カワイイ子やで  気になるぅ?」 
いや、だからニヤニヤすんなっちゅうねん (ーー゛)

その日は授業どころではなく、用もないのに後ろをチラ見したりしてガサガサ、ソワソワ。 休憩時間も固まって席から動けない。。。

授業が終わって、階段のところで鈴川と向井田は待っていた。
鈴川からの紹介で 「隆の里中学の向井田さん。。。 で、JOHNNY君」 

お互い「あっ、どうも」と言う感じで会釈したがどちらも下を向いたままで・・・。(こんな場合、男の俺から声をかけるんだろうなぁ)と思うが、何と言っていいか声が出てこない。
いらん事ならベラベラ喋りまくる俺だが、女の子を前にしては借りてきた猫も同然。
業を煮やした鈴川が 「私はこれで退散するから、あとはJOHNNY君が駅まで送ったってよ」
去り際に耳元で 「カワイイやろ!?」 と言って、俺の肩をポーンと叩いてその場を去ったが、顔なんて見る余裕あるかいな。

でもまあ、ここまでお膳立てしてもらったんだから、あとはしっかりしないと。。。と自分に言い聞かせ、駅までの道を自己紹介しながら歩いていった。
駅の改札口で別れの挨拶をしたときに、まじまじと彼女の顔を見た。

うわっ? カワイイ!! ラブ

上機嫌で家に帰ってきたら、 「何かエエ事あったんかいな?! いやらしそうにニヤニヤして変質者かお前は!」 と姉に言われるほど顔に滲み出てたらしい。。。

最後の賭け

いつもの恐いオヤジから、今度は一転して優しい口調で俺を説得し始めてきた。

「これからの時代、出来るなら大学は行っといた方がいい。 無理する必要はないが、大学進学を考えるなら何輪高校よりも担任の言う公立高校のほうがエエんとちゃうか?それに公立行ってくれた方が学費の面から言っても断然親孝行やで・・・」
それを言われるとツライかった・・・姉も私学だったし、金銭面では出来るだけ負担はかけたくないのはやまやまだ。 だけど・・・。

俺はここで賭けに出た。

「どっちにしてもボクシングはやりたいので、もし公立高校に行く事になったらボクシング部はないのでアマチュアの試合には出れない。 だったらプロのジムに行きながらプロボクサーになるしかないけどいいか? いいと言うなら公立を受験するけど」
当時、学校にボクシング部がなければアマチュアの試合に出れないのはウソで、ほとんどはプロのジムからアマチュアの試合に出場しているのだ。大阪には何輪高校を含めて6校ぐらいしかボクシング部がなかったのだから。。。

俺のボクシング部の後輩でプロ経験者が言っていた。 “プロボクシングとアマチュアボクシングでは、同じボクシングでも種類が違う” と。
さすがにオヤジもその辺は分かっていて、プロに行くならまだアマチュアの方がましか・・・ と苦渋の選択を迫られ、渋々了承した。

こうして俺は何輪高校を専願で受ける事に決定した。粘り勝ちとでも言うべきか(^^♪
しかも担任からは「専願ならまあ間違いないやろ」と言われていたので楽勝ムードプンプンで、まして私学なら内申書は関係ないし・・・ その日からお世辞にも受験勉強と呼べるような事は一切しなくなった(^◇^)
それでも冬休みにはさすがに不安になり、目指す高校は違うが同じクラスの ヤ〜さん と呼ばれる楠本と言う奴と、有住と言う奴とで冬期講習へ通ったりした。。。

翌年4月、晴れて何輪高校に入学した俺は、始業式が終わると同時にボクシング部に入部する事になるが、この続きは 【高校時代】 編で・・・。

俺の決意、オヤジへの説得

俺にとってオヤジはめっぽう恐い存在で、この歳になった今でも恐い。
小さい頃はよく殴られた。
俺が小学校4年ぐらいの時に、自宅の2階で中2の姉と姉弟ケンカをした。下は居酒屋なのでバタバタするとお客さんに迷惑がかかる。
この時はいつものケンカよりも少し長かった。すると階段をドンドンドン! と音を荒げて2階に来たかと思うと、
「お前らそんなにケンカがやりたいやら、これでやり合えっ!」 と出刃包丁をタタミにグサッと刺した。

俺と姉 「・・・・・・・・・冷や汗

「いつもしょーもない事でケンカばっかりしやがって、オネエは弟を思いやる心はないのか! お前も自分の我ばっかり通さんと、男のクセにたまにはオネエを立ててやれ!」と言って、往復ビンタを1発づつ。
俺は鼻血を1本垂らしながらうつむいて泣いていたが、姉は泣きもしない。。。



自分が納得しないと頑として聞かないオヤジで、これを説得するのは至難の技だと思ったが、怒鳴られようが反対されようが、へタレだろうがやりたいものはやりたい。
オヤジはボクシングを見るのは好きだが、息子にはさせたくないのか諦めさす事に必死で、店に来るお客さんで日本拳法の師範に「諦めさすように説得して欲しい」と相談していたようだ。

ある日、その師範がきて俺に言った。
「お前を小さい頃から見てるがボクシングには向かん性格や。 そんな細くてひ弱な奴がハングリースポーツのボクシングなんか出来るわけないやろ!」 

「(ーー゛)・・・・・・でも、やってみたいです」

「そんなにやってみたいんやったら、出来るかどうか、今ここでワシがテストしたる」 

「テストって、何ですか?」

「ワシが顔面に正拳突きして、表情も変えずにケロッとしてたら、まあ出来る可能性はあるわ」 
中学生の子供をつかまえて何ちゅうこと言うんや! と思ったが、俺も反論した。

「分かりました。ただしボクシングは日本拳法と違って体重制のスポーツなんで、師範が俺と同じ50kgまで減量して来て下さい。 そしたら正拳突き受けます」
ガッチリして恰幅がよく、いかにも武道家らしく見るからに70kgはゆうに超えているであろう師範にこう言ってのけた。。。ビールの入ったグラスを持つ手が止まった。
さすがに20kg以上も減量なんか出来るわけがない。 ナイス反論っ!

それでも師範は “ボクシングはアカン” と言う理由を並べ立ててクドクド言っていたが、半分うわの空で聞いていた。
俺がその場を離れてから、オヤジに 「どうしてもやりたい言うんやったら、やらせたったらエエがな。 ボクシングなんて憧れだけで出来るような、そんな甘いモンやない。どうせ1ヶ月もせんうちに根をあげて辞めてきよるわ」
と言っていたようだった。


ボクシングへの憧れ

幼稚園の頃はあんまりアカンタレだからと言うので、オバアちゃんが無理矢理に古武術道場へ通わせようとしたが、2回ぐらいで辞めた。
小学校の3年生の時には、実家の居酒屋のお客さんからの紹介で柔道場へ通う事になったが、これは中学1年の夏休みぐらいまで通った。しかし柔道は体のでかい方が有利で、ガリガリだった俺は試合に出て勝ったためしはない。押さえ込まれるとハイそれまで・・・。
俺の格闘技経験はこれだけで、あとはプロレスをちょこちょこ見るぐらいなもんだった。


オヤジがボクシング好きでよく見ていたが、俺が一番最初にTVで見たのは確か、大場政夫のタイトルマッチだったと思う。ダウンしても逆転ノックアウトで勝利する。。。 見ていてカッコイイ! 
「あしたのジョー」も好きで、ボクシングへの憧れもかすかにあったが、とてもあんなのは俺には出来ないし、別世界の人間がやるもんだと思ってた。


ところが中1の10月10日に、具志堅の世界挑戦のタイトルマッチがTVであり、7回ノックアウトで世界チャンピオンになった試合を見て ウォォォ〜 これやりたい!! って言うか、(ボクシングは体重別なのか! 柔道はデカイ奴ほど有利だったが、俺と同じ様な体重の奴となるなら俺にも出来るかも。。。)と素直にそう思った。
プロボクサーになりたいとか言うよりも、ボクシングってどんなもんなのか、とにかく実際にやってみたいと言う思いが日に日に強くなってゆく。


中3になって高校受験をどこにするかと言う時は、迷わずボクシング部のある高校とひそかに決めていたが、親にはずっと言えなかった・・・。
反対されるに決まっていると思ったし、俺の行きたい高校は私学だったから。

親は当然、公立高校に行ってくれるものと思っていたが、担任を交えて何回目かの進路相談のときに勇気を出して初めてその高校の名前を告げた。
「何輪高校に行ってボクシングがやりたい!」
進路相談にはオヤジが来てくれていたが、俺のその言葉を聞いた瞬間に絶句していた。
担任も初めて聞く俺の言葉に戸惑っていた。。。

大阪にボクシング部のある高校は少なく、俺が行きたい高校も含めて6校ほどしかなかった。
その中でも何輪高校は近畿のみならず全国でも名門で、戦後日本で初めて高校にボクシング部を創設したと言う、高校アマチュアボクシング連盟の理事校で、毎年インターハイではランキングボクサーを輩出するほど。
俺が中3の時のインターハイでは酒井と言う選手が高校チャンピオンになり、後にプロに転向する事になるオリンピック候補の選手までいると言う強豪校だった。


「何輪高校っていったら私学やないか! 学費もバカにならん。それに・・・
お前みたいなヘタレがボクシングなんか出来るかぃ! なに夢みたいな事いうとるんじゃ!」 
担任の前でオヤジは俺を怒鳴り上げた。


宇宙戦艦ヤマト

この頃にアニメ「宇宙戦艦ヤマト」にハマる。
第一回のTV放送は確か、俺たちが小学校4年生の時だったと思うが、「侍ジャイアンツ」の裏番組で放映していたように記憶している。
当時は「侍ジャイアンツ」を見ていたので、ヤマトなんて見ていなかったし興味もなかった。第一、オープニングのあの暗い雰囲気と、声優やスタッフのテロップが毛筆体というのも、何となく古臭くて見る気がしない理由の一つだった。
結局、視聴率が取れずに途中打ち切りとなったはずだ。

中1の時に「宇宙戦艦ヤマト」派と、「サイボーグ009」派に分かれて、 “どちらが非科学的か” などと、今から思えばどうでもいいような論議をした事もあった。当時、俺は「サイボーグ009」派だった。

ヤマトは再放送で人気に火がつき始めた、最初のリバイバル・ヒットアニメだ。
このヤマト人気に全てのアニメが見直されるようになり、当時はオタク と言う言葉もなく、アニメファンの事を アニメ・フリーク と呼んでいたような気がするが、この頃からいわゆるアニメに関する熱狂的なファンが増え始めつつある頃だった。 
度合いにもよるが、いわば俺たちがアニメオタクの第一期生と呼んでもいいかも知れない。

中3のいつだったか、確か中間テストか期末テストの最中に、オールナイトニッポンで
“ ラジオドラマ 宇宙戦艦ヤマトを生放送でやっていたので、試験勉強もせずに録音しながら最後まで聞いていた。
「さらば宇宙戦艦ヤマト」の封切り前日(正確には当日の未明) だから、前夜祭企画と言う事だったが、その日はもう朝からソワソワして早く夜にならないかなと心待ちにしていた。

夏休みにヤマト・フェスティバルと称して、ヤマトのセル画やノートなど各種のグッズ販売する催しが大阪北区の阪神百貨店であり、受験勉強もしないで毎日入り浸ってた。。。
オカンから小遣いをせびり、鉛筆から下敷き、ノート、キーホルダーなど毎日ちょっとづつ買ってくるので、オカンから「そんなしょ〜もない、同じ様なモンばっかり買ってこんと勉強せぃ!!」 とよく怒鳴られたものだった。
いま長女が「ナルト」にハマっているのと同じ様なもので、やはり血は争えないなぁ〜と
思う。
長女も中3の夏休みに阪神百貨店でナルト祭りがあったとき「連れていけ〜」とせがまれて、ナルト・グッズをたくさん買わされた。。。 ところが今は、長女よりも俺のほうがハマっていて、UFOキャッチャーやガシャポンでナルトものがあると、数千円を使ってまでやり続けるのだから、オカンのかわりに嫁ハンが呆れている(^^♪ 長女は大喜びだけど・・・。

「さらば宇宙戦艦ヤマト」で、地球防衛軍司令部から再三の退去命令が出ているにもかかわらず発進準備を進め、飛び立つまでのセリフをいまだにウロ覚えながら言えるのは、ちょっとした自慢に思っているが・・・。
「注水完了!」
「ガントリーロック、解除  後部ゲート閉鎖」
「微速前進0.5」
「ゲートオープン」
「波動エンジン内、両弦推力バランス正常パーフェクト フライホイール始動!」
「波動エンジン圧力上昇へ!」
「上出来だよ、古代!」
「島っ!来てくれたのか」
「さっ、俺がやろう!」
こんな感じだったかな・・・?

「交響組曲ヤマト」と言う、映画内で使われている曲をオーケストラにしたLPまで買って毎日聞いていたが、秋ぐらいにフェスティバル・ホールでコンサートがあったのにも独りで聞きに行ったことも懐かしい(^○^)

アニメって本当に夢があってイイと思うが、いまでもずっとガンダム だけは好きになれないのは、ヤマトと同じ様に食わず嫌いだからなのかなぁ・・・。

俺の中学

【中学時代】 のカテゴリーの1発目に
俺の通っていた中学は2つの小学校からなり、1学年13クラスあった。
俺の小学校は文教地区がメインで金持ちが多く、比較的大きな家に住むボンボン・お嬢が多くて大人しい小学校だった。
もう一つの小学校は商店街やスーパーマーケットがあったりして、下町だけど頭がいいのや、スポーツが飛びぬけて上手い奴や、悪さする奴もそこそこ居てバラエティーに富んだ顔ぶれ。
と書いた。

俺の実家は、家の前の道を1本隔てると違う校区、北側の数十メートル先の道を隔てると、また違う校区でいわば僻地みたいな所に位置していた。
商売をやっていることもあるが、文教地区がメインの小学校にしてはどちらかと言うと浮いた存在、家庭だった。
だから、もうひとつの小学校区の雰囲気に近い生活環境で育ったので、そちらの小学校出身の奴といる方が馴染むし落ち着く。それは30年近く過ぎた今でも感じていて、同じ小学校出身の奴といまだに付き合っていると言う奴は皆無に近い。
かのエロ本王子 長嶋 の家は同じ町内と言えども、俺の家から1本筋を内側に入るところにあり、文教地区のかかりに位置する(エロ本野郎が生意気な・・・)

俺の小学校の周りには歴史的に価値ある神社や古墳が数多くあり、あの有名な桑名正博の実家もあったりして、かなり静かで高級住宅地ばかりのハイソでセレブレティーな環境だ。友達の家に遊びに行っても、玄関先で思わず躊躇してしまうような家に住む奴が多かった。
遊びに行ったらオバちゃんがジュースやお菓子を出してくれるのにも感動的だった。俺の家に遊びに来ても何一つ出ない。
って言うか夫婦で居酒屋をやっているから仕込などで忙しく、出したくても出せない状態。 たまにオカンが出してくれた! と思ったら、焼き鳥や、う巻き、スルメの天ぷら、関東煮(おでん)など酒のアテ。子供心にはこれが恥ずかしかった。
ちなみに、俺はいまだに【おでん】とは言わない。 関東煮(かんとだき) と言う。
生粋の大阪人であれば、【おでん】なんて言うな。
関東煮 と言え!と思っている。
まあ、これは置いといて。。。


で、俺の中学の頭のレベルは当時、区内だけではなく大阪市内でも有数の頭の良さだったらしい。
特に周りの中学はワルサ中学ばかりだったので、子供のためにわざわざ引っ越したり、越境して入学してくる奴も結構いた。
だから中3になって進路相談の時なんか、業者が主催する模擬テストの成績は一切考慮しないと言う学校の方針で、つまり学校よりもレベルの低い模擬テストの成績は参考にならないと言うわけだ。 
これは高校に入ってから実感した。
俺は中学では可もなく不可もなく10段階評価で言えばど真ん中の5。それで高校に入れたが、だけど他の中学から来る奴は5.5〜6.5の成績がないと入れない。
中学では中の中だったのが、高校では下の中。。。 公立中学で学校のレベルが高いというのも考えものでっせ!

中学の同級生で東大合格者が3人もいるあたりをみても、やっぱりかしこい中学なのか?もしかすると、地味ぃ〜な奴や浪人までを含めるともっといるのかも知れない・・・。


クラス委員問題

中3のクラス委員は会長・副会長とも女子に決まった。
どう言う経緯で二つの役職とも女子になったのかはもう忘れたが、会長が小松と言う女子で副会長は梨本と言う女子だった。

この二人、唯我独尊タイプで公平にクラスをまとめると言うよりは女子には甘く、男子にはことのほか厳しかった。いや厳しかったと言うよりは関心がないという方が正しかったかもしれない。
そのうちブスブスと不満が溜まりはじめ、男子が全員無視するようになったあたりから、実は女子からも不満が噴出しだし、会長・副会長の不信任案がでた。
「二人とも辞任せよ!」と言う事だが、中学生のクラス委員レベルで不信任案なんて前代未聞ではないか? それぐらいヒドかったという事か。。。

ここにきて初めて事の重大さに気付き始めた二人はあれこれと担任に相談したり、取り巻き連の女子と協議したりして信頼の回復に努めていたらしい。
ある程度、女子では意見がまとまり始め「今後は改善するなら不信任案を取り下げてもよい」という事になった。

次は男子。。。

晩飯を食っていたある日、エロ本 王子の長嶋 から電話があった。
「今から来れる?」
 
俺は、また新しいエロ本が手に入ったのかな(^○^) と思って、晩飯もそこそこに勇んで長嶋家へ。
着くと小松と梨本の顔が見えた。

「・・・? あれ? 何でお前らいてるん・・・ ハハァ〜ン お前らもエロ本見にきたなぁ」

「そんな訳ないやろ!」 と赤面して長嶋。
小松も梨本も(何のこと??)とキョトンとしていたが、長嶋のオバちゃんが「アンタ、ほんまに天真爛漫やな・・・何かクラスの事で大事な話があるねんて!」と笑いながらジュースを持ってきた。

「クラスの事? 不信任案のことか?」

「そうや。2人の相談にずっと乗ってたんや」

「え?いつから・・・ 知らんかった・・・ で、何で俺なん???」

「私らもやり過ぎたと言うか、配慮が足らなかった事は反省してる。 みんなに辞めろと言われて初めて自分らの身勝手さに気付いた。辞めるのは簡単やけど、このまま何の信頼回復もなしに辞めるのはちょっとイヤやねん。。。 “何を今さら” と言われたら返す言葉はないけど・・・」と言う事らしい。。。

「女子には昨日話しして、今後は改善するなら信任してもいい、と言う話になったそうや。あとは俺ら男子やねん」  と長嶋。

「ふ〜ん・・・ そんなスグに改善できるとは思わんけど、まあ改善の努力すると言うならその言葉を信じるだけしかないけど・・・。 でも、さっきも言うたように何で俺にこんな話持ってくるんか理解に苦しむわ・・・」 

「発言力が大きくてクラスの男子をまとめられるって言うたらアンタぐらいのモンやん!」
妙に自尊心をくすぐるような言葉で小松と梨本は言った。
だけど俺はただ単にいちびりなだけで、発言力もそう大きくないし男子をまとめる事なんて出来ないと言うのは俺自身が一番よく分かってる。
(何かハメられたなぁ)と言う感がないではないが、話を聞くと彼女らなりに、まあそこそこ真剣にクラスの事を考えているんだなというのは分かったし、何かしら力になれるならクラスメートとしては放っておくことは出来なかった。

結局この日は12時近くまで話して、俺もそうだが彼女ら二人も俺の事を誤解していたみたいだった。
「見た目と中身が違いすぎるわ!そんな一面があったなんて・・・意外ぃ〜」 とホメられているのか、けなされているのかよく分からない言葉で・・・。

遅くなったので俺と長嶋とで彼女らを送っていった。
その道すがらでも小松に「アンタ、エエ人やなぁ」 と言われて黙っていると、長嶋が「オイオイやめたってくれ。コイツ、女子にそんなこと言われたら赤面するタイプなんや」

「エエ〜〜?? そうなん!? それも意外ぃ〜」 
夜にまぎれて顔の色までは分からなかったが、ホントは顔から火が吹き出しそうになってた。
長嶋もいらんこと言うなっちゅうねん!

衝撃的好奇心

中3になり、俺の家のウラに住んでいる長嶋と言う奴と同じクラスになり、小学校時代は同じクラスになった事はないが、同町のよしみと言うことで知らぬ存在ではないのでスグに親しくなった。
ある日、長嶋の家に遊びに行きそいつの部屋で遊んでいたら、金髪外人のエロ本が無造作に置かれてあるのを見つけた。
こっちとしてはエロ本を見るのなんて初めてだったから、なかば興奮気味に びっくり な・Na・な、何やねん?? コレェ〜〜!!」 と言いつつ確かめるようにページをめくり、舐めるかのごとく何度も何度もすみずみまで見ていた。。。

すると長嶋は 「ああ、そんなんやったらいくらでもあるで!」 と、事もなく机の横にある棚のカーテンを開いた。
うわぁ〜 まるでエロ本の宝船やぁ〜!

長嶋のオヤジは外資系の企業で働いていて、年に数回海外出張するらしいが、オカンや妹には香水やアクセサリーを買ってくるが、長嶋にはエロ本をお土産として買ってくるとの事だった。なんと羨ましい!!
俺が 金髪フェチ になったのは、恐らくこの時の体験があるからに違いない。。。

「もう小学校の時から散々見てるし、同じ様なパターンやからオモロないねん」
なんと。。。なんと性教育の進んだ家庭や! と言うより、今から思えば “ただのエロオヤジが税関の目を盗んでエロ本を持って帰ってきただけやないかぃ!”

「オモロないねんやったら、一冊くれ!」と言ったら 「アカン!」 と言いやがる・・・。 だけど、俺は長嶋の家に遊びに行くのがいっぺんに好きになった!! ときめき

俺の家には風呂がなく毎日風呂屋に行っていたが、長嶋の家でも風呂を沸かさない時は近くの風呂屋へ2人でよく行ったものだ。
長嶋のイチモツは中3で、もはや黒ずんで完全にムケていた。
チンチンと呼べるレベルではなく、“チンポ!” と呼ぶに相応しい立派なモノ、いや、マラだった。。。

この25年後に再会した時、頭髪はまるでカンロ飴にトロロ昆布を乗せたようないでたちになっており、思わず 「チンコもムケるのが早かったけど、頭もムケるのは早いねんなぁ」 と言って周りの爆笑を誘うように、いじくり回した。。。

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