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危機一髪

高校を無事卒業する事になり卒業式当日を迎えた。
男子校なので、さすがに泣くような奴はいなかったし、中学の卒業式みたいに後ろ髪を引かれる哀愁漂うような思いはなかった。
むしろ 「あぁ〜 やっと卒業するんやなぁ」 と言った感じで、4月からの大学生活に心は先走っていたと言う方が正しい。。。


卒業式のその夜にはある計画があった。
当時ノーパン喫茶が流行っていて、卒業したらみんなで行こう!という事になっていた。

店の名前は『阿倍野スキャンダル』

行くといっぱいでウェイティングがかかっていて、小一時間ほど店の外で待たされたが、
もう興味津々で早く入りたくて皆ウズウズしてた。。。

すると大きなポリバスが横付けしたかと思うと、警官が数十名降りてきて一斉に店になだれ込んで 「ハイそこまで! 全員動くな!」

おぉぉぉ〜〜 手入れですわ!・・・。冷や汗

以前からいかがわしい噂は流れていた。
それだけに俺たちはどんなもんなんか行きたくて行きたくて。。。だけど店の外で待っていたのが幸いして、危機一髪で難を逃れたような形になった。
卒業式が終わったとは言え3月一杯までは高校に在籍している事になっているから、警察沙汰になると卒業延期か、もしくは最悪取り消しと言う事もあり得るらしい。
実際に過去に卒業式の翌日、飲みに行ってケンカをして傷害で警察沙汰になり、卒業取り消し除籍処分になった例もあるらしい。

エロ未遂ってとこだが、今にして思えばこの事が俺の大学生活の行く末を暗示しているような出来事だった。
卒業式の翌日から、親元から離れて独り暮らしを始めるようになってからは(とは言え、徒歩5分ぐらいの距離だが)、糸が切れた凧みたいにフラフラする事になる。




大学合格

スポーツセレクションで大学進学を諦めて、実力だけで受験する事になった。
そもそもボクシングでセレクションの話があるまでは大学に行くのか専門学校か、または就職するのかさえ何も決めていなかった。。。
ただうっすらと、もし専門学校へ行くなら鍼灸柔整専門学校へ行きたいなぁと言うのはあった。
拳を痛めたり、首まわりや体のあちこちが故障したりした時に、近所の鍼灸医院に通っていた事がきっかけで、東洋医学に興味があったからでもある。


オヤジからは 「いっこも勉強らしい事しとらん奴が、大学なんか通るかぃ! 受験料が無駄になるからやめとけ!」 と言われていた。
結局、12月の推薦試験を受けて通ればよし! ダメだったら2月の一般試験は受けさせないし、もちろん浪人なんかさせない。それならば専門学校を受けるか就職せよ。 それがイヤだったら家業の居酒屋を継げ! と言うのが条件だった。


違うのよ・・・。

知香ちゃんと別れるちょっと前(夏休み前)ぐらいから、ちょこちょこ受験勉強らしいものはやってたのよ!! 
学校帰りに知香ちゃんと図書館へ行ったり、毎週日曜は彼女の家で。。。
知香ちゃんみたいな進学校に通う子と付き合ってなかったら、多分そんなことはしなかっただろうと思うが。

中2のときの “創作活動” が縁で、文筆での表現に関する事に興味を持ち始めていたので、出来れば将来は放送作家かコピーライターになりたいと思っていた俺は、大阪芸大と、ダメもとで日大 芸術学部を受けた。
オヤジには「もし日大に通ったら東京へ行かせてくれるか?」と聞いたら、絶対通らないと思っていたらしく、二つ返事で 「エエで!」 といとも簡単に返事した。。。


結果は、どちらも合格!!! (^○^)

東京へ行く気満々で喜んでいたら、 「大阪芸大も通ってるのに、何でわざわざ東京に行く必要があるねん! お前みたいなヤツが東京へ行ったら4年間で絶対卒業でけへんやろ!! それに月謝も高いが仕送りもバカにならん」 と・・・。

あ”〜 汚ったねぇ〜!!(ーー゛)

今から思えば大阪芸大ですらギリギリの卒業だったので、親元はなれて東京で生活していたら、確実に4年間では卒業不可能だったのではないか・・・と思う。
俺のことだから、たぶん良からぬバイトなどしまくって、人生を棒に振っていたかも知れないなぁ。

まあ何はともあれ、これで俺は4月からは晴れて大学生という事になった。。。

知香ちゃんとの別れ

高3の夏休みぐらいまではラブラブだった。。。
お互いに受験を控えていたし、もしここで万が一 妊娠するような事があっては大変なので “エッチはお互いが大学に入学してから” と言う事にしたが、まるで鼻の前にニンジンをぶら下げて走らされている馬のようだった。

それだけに 「絶対に合格してやるぅ〜〜!!」 と、受験勉強にも力が入った。。。



しかし縁切りの神様は突然にやって来て、いとも簡単に赤い糸を断ち切ってゆく。


知香ちゃんと学校で一番仲の良かった親友とも呼べる子が自殺したのだ。
あまりの落胆ぶりに、俺はかける声を失った。 どう激励・慰めていいのやら。。。
「その子の分まで、俺らが一生懸命に生きようや」 とか、今から思えばまわり一辺倒の言葉しかかけられなかった。
それが知香ちゃんからすれば 「私がこんなに悲しみ、苦しんでいるのに、なんて冷たい男なの・・・」 と映ったらしく、その日を境に電話をしても出てくれなくなった。


出てくれないと分かっていても、何とか直接逢って話をしたくて毎日電話してくる俺。 同じ女性として姉の気持ちも分からなくはない二卵性双生児の妹の、由香ちゃんが見るに見かねて俺に電話してきてくれた。

「JOHNNY いつもゴメンな〜 知香 絶対に電話出たくないっていいやんねん。。。 JOHNNY としても、どう声かけていいか分かれへんねんやろ??  でもな、女の気持ちからしたら一番側にいて欲しい人から励ましがないって言うのは、支えてくれるはずの人から裏切られたって感じてしまうもんなんやで」

いや・・・言ってる事、よく分かります・・・。その通りで、もう言い訳すら出てこなかった。


一度のケンカもしたことがなく、周りからも 「お前ら、仲エエのぉ〜」 と羨むような仲だったのに。。。

♪〜 人もうらやむよな仲が いつも自慢の二人だった
   あなたとなら どこまでも ゆけるつもりでいたのに
   突然の嵐みたいに 音を立ててくずれてく
   涙が出ないのはなぜ 教えて欲しいだけさ ♪〜


俺の姉がこの頃によく聞いていた、サザンオールスターズの「私はピアノ」のフレーズが妙に耳に残って、自分自身の不甲斐なさを恥じた。

別れの言葉もなく、フェードアウトのような感じで俺たちの関係は終わる事になる。
その後、俺は大阪芸大に合格するが、知香ちゃんはこの事が響いたのかどうかは定かではないが一浪する事になり、その一年後、大阪府立大学に合格した。
大学入学後、二度ほど再会しているが、友達以上の関係にはならなかった。


スポーツセレクション

インターハイ予選を決勝敗退して、全国大会出場へのキップはあとは国体予選しかなかった。
今はインターハイと同じ様に各級別の個人戦になっているが、当時は前回も説明したように、フライ級、バンタム級、フェザー級、ライト級、ライトウェルター級の5階級の団体戦。

予選には、たとえばフライ級よりも軽いクラスのモスキート級やライトフライ級の選手も減量ならぬ増量しクラスを上げてエントリーしてくるので当然、激戦になる。
当時はフライ級が一番激戦だった。決勝まで7試合。
1日2試合やっても4日ほどかかる。1日2試合って、そらぁしんどいでっせ!! それを2日連続って・・・。
アマチュアの場合は毎日計量があるので、減量のしんどい選手は勝ち進むほど精神的・肉体的に負担がかかり、このしんどさに耐え切れずワザと試合に負ける選手もいるほどだ。


俺は決勝まで勝ち残り、決勝は大学リーグ戦の会場である桜ノ宮スケートセンターの2階特設リングだった。
大学リーグ戦の前座のような形で行われるが、リーグ戦に出場する高校の先輩大学生や大学の監督までが注目しているので緊張の度合いも増してゆく。
相手は先月のインターハイ予選 準決勝で勝った相手。俺は2年で国体に出たがそいつは同じく2年でインターハイに出場し、これまでの俺との対戦戦績は1勝1敗の五分五分。
ハッキリ言って自信はなかったが、背水の陣との思いで望んだ。


しかし・・・。


ダウンの応酬のあげく、3対2のスプリットデシジョンで、またしても予選決勝敗退(ーー゛)  

「高校の予選でダウンの応酬など見たことがないぐらいレベルの高い試合だ」 「どちらが勝ってもおかしくない様ないい試合だった」と激励もあったが、結果が全てのボクシングでは、いい試合であろうが内容の悪い試合であろうが勝たなければ意味はない。
これで高校最後の全国大会出場の夢は断たれる事になった。
のちに相手はインターハイチャンピオンを追い込むような試合をした奴だったから、俺もそれぐらいの全国レベルなのかと自分で自分を慰めた。。。

国体予選では負けたものの、この試合内容を見た大学2校からスポーツセレクションの話が来ていた。
先輩の口利きもあっての事だが、俺としてはメチャクチャ嬉しいし、大学でもやりたい気は充分にあったがボクシングとは別に行きたい大学もあった。


女体の神秘

知香ちゃんは俺的には自慢の彼女だった。
インターハイ予選を見に来てくれた時は、ライバル校の同級生やOB連中、果ては先生までもが「あれ、お前の彼女か? ベッピンやのぉ〜!」と言ってくるのでハナ高々だった。。。(^^♪

知香ちゃんは岸和田出身で、二卵性双生児の妹がいる。
妹は由香ちゃんと言う名前だが、二卵性だけに姉の知香ちゃんとは何もかも全然違うタイプだ。
原付バイクで阿倍野から約1時間かけて知香ちゃんの家まで毎週のように通った。母子家庭でお母さんは日曜も働いているので、親の目を盗んで何とやら・・・(^^♪

ある時、彼女の部屋で遊んでいたら何やら怪しい雰囲気・・・。ベッドでチュッチュやっていたら二人ともその気に。。。

ぎこちない手つきで小さな膨らみをモミモミ、膨らみの先端を口や舌で愛撫しながら、手は下着の中の繁みの中に消えてゆく。。。周りに気遣うような小さな吐息が漏れた。
「恥ずかしい・・・」と言いながらも、俺の行動に身をゆだねる知香ちゃん。下着を取り去ると、そこはもう充分に潤っていた。
初めてマジマジと見る女体の神秘!!
心臓バクバク、肉棒はビンビンで脈打っているのが自分でも分かるほど興奮していた。

「いい?」

「・・・うん・・・」
いつ何時そんな事になってもいいように、ポケットにはコンドームを忍ばせていた。まさに計画的犯行!!


ところが場所が分からない・・・(-_-;)
何度かあたりをウロウロしているうちに不覚にも果てた(ーー゛)
ボクシングのデビュー戦も不甲斐ない負けだったが、エッチのデビュー戦も一発のパンチも当たらないまま力尽きたと言う感じだった・・・。

当時、ボクサーは「酒・タバコ・女」は厳禁とされていて、タバコは今でも厳禁だが、健康な思春期の男子に「女はダメ!」と言われても、それは無理と言うもんですわ!
だが知香ちゃんとは、それからもそんなチャンスは何度かあったが、それっきりになった。
俺が童貞を失うには、まだあと2年の月日が必要だった。

まさかの予選決勝敗退・・・

高校3年生になってインターハイや国体に出場するのは至上命令だったし、またウチの高校では “インターハイや国体は出て当然” との雰囲気があった。
連盟の中でも俺は有望株で、ランク・インを狙える選手として期待も大きかった。


当時はインターハイと国体では、インターハイの方が格が上だった。
国体はフライ、バンタム、フェザー、ライト、ライトウェルターの5階級でチームを編成しての団体戦。
いわば柔道や剣道の団体戦と同じ方式だ。自分が負けても後のメンバーが勝てば次へ進めるが、インターハイは各級別の個人戦なので自分が勝たないと次へは進めない。。。

インターハイ予選には必勝を期して、フライ級から1階級わざと下げてライトフライ級で勝負する事にした。
普段の体重はフライ級のリミット(51kg)ぐらいだったので、ライトフライ級(48kg)なら3kgほどの減量だから問題はなかった。むしろ体が軽くパンチのスピードやキレもアップした。
練習ではとにかく調子が良かったし、プライベートでも知香ちゃんと付き合い始めてモチベーションも充実していた。


試合当日。
大阪代表になるには5試合を勝たないといけないが、決勝までは楽勝だった。
半分 代表になった気でいたし、いまから思えばナメていたと言うか油断していたのだろうと思う。
確かに決勝当日のコンディションは良くはなかったが、それはいい訳だ・・・。体が思うように動かず、最終ラウンドで追い上げたものの僅差の判定で敗れる事になる(ーー゛)

「ボクシングに絶対はない!」と言われるが、2年で国体に出場していた選手としては超番狂わせの結果に連盟やOB連中の落胆の声が響いた。
「国体は絶対に取れよ!」
俺としてもプレッシャーを感じ、もう後がないと言った感じになった。

学校とプロのジムでの練習、2年の国体ではランキング選手に勝っていたことからそれなりの自信はあった。ボクシングは結果が全ての世界だが、結果的にはそれが全部無駄になった。。。
準決勝までは知香ちゃんも見に来てたりして、一応彼女の前ではいいカッコする事ができたが、どこか浮ついていたのかもしれないと自分自身を律した。
全ては翌月の国体予選に向けて・・・。


I Say 最高 Rock'n Roll

元々50年代サウンド、いわゆるロックンロールは好きだった。
ビートルズに興味を待ち始めた中2の時も、一番好きだったのは「I Saw her standing There」  もっと言えば小学校6年の時には姉の影響でキャロルも好きだったし。。。


高2の秋ぐらいに横浜銀蠅がデビューした時には、おお〜 久々にご機嫌なグループが出てきたなぁ〜! と、いっぺんにハマった。

しかし当時は「横浜銀蠅が好き」などと言おうものなら、「横浜銀蠅?? ダッサイのぉ〜 お前 嬉しがりかぁ!?」
一斉攻撃された。
これは今でもそう思っている奴はたくさんいるので、つい最近まで隠れキリシタンのようだった。

中2のときに諦めたフォークギターを押入れから引っ張り出してきて、俺はロックンロールをやるんだ! と再度ギターの練習を始めた。
同じクラスに角田と言うフォークギターのメチャメチャ上手い奴がいて、家も近かったことから毎晩のように教えてもらった。

ロックなのに何でフォークギター? と思われるかもしれないが、“フォークギターのコードはしっかり押さえないと音は出ないが、エレキギターはフォークギターほど力はいらない。 だからフォークでしっかりコードを抑える事が出来たら、それが基礎になる” と思ったのと、エレキギターを買う金がなかったからだ (^◇^)


俺が今でも JOHNNY と称しているのは、横浜銀蠅のメンバーのジョニーから来ている。。。。

この “ JOHNNY ” については、こんなエピソードがある。
大学に入学したとき時、入学ガイダンスで知り合ったメンバーと意気投合し、バンドを組もうと言う事になった。
バンド名など決めている時に「どうせなら俺のこと JOHNNY と呼んでくれ」の一言から始まった。
元々、キャロルのジョニー大倉・横浜銀蝿のジョニーが好きだったので、(バンドを組まなくても大学に入ったら俺のアダ名は JOHNNY にしよう)と考えていた。。。それどころか、いつかサインもバンバン書くときが来る! と、サインの練習までしていた (^^♪
初めは自分でそう呼んでくれとリクエストしたものの、実際呼ばれると恥ずかしくて・・・(>_<) だけど慣れとは恐ろしいものでそう呼ばれることに、ある種の快感を覚えるようになってきた。
大学在学中4年間、ずっと “ JOHNNY ” だった。
卒業式の当日、ある女の子から「で、 JOHNNY って結局、本名は何なん?」と聞かれたことがあるほど浸透していて、横で聞いていたツレが「お前はウマイ事やったのぉ。俺も入学してスグに横文字のアダ名を言うといたらよかったわ!」と羨ましがっていた。

それから25年間、大学時代のメンバーはずっとそう呼んでくれているが、去年の忘年会で久々に飲みに言った時「お〜い JOHNNY こっちこっち! 」と呼ばれて、さすがにこの歳では恥ずかしくて「大きな声で呼ぶなよ」とテレながら言ってしまった。


だけど60や70歳ぐらいになっても「 JOHNNY 」と呼ばれ続けたい気もあるなぁ・・・

いきなりの必殺パンチ炸裂!

顔を見た。

うわぁ大人っぽい!! (^^♪ が第一印象で、この子をKOできれば大金星だと思った。。。

名前を知香ちゃんと言って、某有名女子高に通う頭のいい子だった。



お互いに下を向いたままで、松友が間を取り持って他愛もない話に終始したが、いやぁ〜リングに上がるより緊張しますわ!

「お前なに猫かぶってるねん」と松友はいつもと違う俺の様子にチャチャを入れて、「いつもはこんな奴と違うねんで〜メチャおもろい奴なんや」 とか 「ボクシング強いんやで」 と、俺のことをしきりに知香ちゃんにアピールするが、当の本人はまるで葬式に参列してるような感じだった。
第一印象がスゴク良かったので俺としては一目ぼれって感じで、それだけに余計に緊張して・・・。



話の発展のないまま、そろそろ知香ちゃんが帰る時間になってきた時、おもむろに
「一目惚れしたんで、付き合ってもらえますか?」 と切り出した。
ボクシングで言えばジャブやさぐりのパンチもないままに、いきなりの必殺パンチ。

松友も「おぉ〜 いきなりかぃ!」とビックリしていたが、知香ちゃんからの返事はなんと 「ハイッ こちらこそよろしくお願いします」 と意外なものだった。。。
まさか二つ返事をもらえるとは思っていなかったので、ポカ〜ンと俺も松友も口を開けたまま事の事態が飲み込めなかった。

「えっ? マジで?」

「はい」

「・・・マジで?」

「はい」

「マジで?・・・マジで?」

「はい」


聞いた本人が信じられないのに、知香ちゃんはニコッと微笑みながら何度も返事をする。
苦しまぎれに出したパンチが、たまたまテンプルに当たってKOしたような絵に描いたようなラッキーパンチだ!

この事があってから、松友からは “リー即のJOHNNY” と言われるようになった(T_T)
これ、たまたまウマイ事いったから良かったようなものの、普通は逢った当日に女の子がOKの返事はせんでしょ?!

中3の時に違う中学の向井田と言う子と付き合ったが、お世辞にも付き合うとは言いがたい状況だったので、厳密に言えば知香ちゃんが初めての彼女になった。
それでも「紹介」と言うことについては、一応は2戦全勝! 
これは俺的には記録があって、大学生の頃までに紹介してもらった女の子とは6戦全勝と紹介では玉砕はナシ! その代わり自分から告白した女の子は2勝8敗と大きく負け越している。。。

とにもかくにも、俺の高校生活はこれでバラ色になるはずだった・・・。

春が来たっ!

みなさん、しばらくぶりでございまして・・・ あせあせ
私生活で色々とありましてバタバタとしておりました。。。
気分的にしんどい雰囲気の中で、追い討ちをかけるように事実でない俺に関するウワサに尾ひれ羽ひれがつき、さらに気分を害する様な出来事もあったりして(ーー゛)
また今日からボチボチと更新していきますので宜しくお願いします。





高校時代はボクシング漬けだった。
高2の時の修学旅行でさえ、国体予選の2週間ほど前だったのでフェリーや宿泊先のホテルでも練習させられた。まるで合宿だ。。。
そのおかげで国体に出場する事ができたが、周りを見渡せる余裕ができてくると急に女に目が行くようになる。
生涯で初めてラヴレターを出したが無残にも玉砕して「ボクサーに女なんかいるかぃ!」 と粋がってはいたものの・・・。
やっぱり本音は 欲しい!!

2年の6月ぐらいから中途入部してきた松友と言う奴がいて、何故かコイツと妙にウマがあった。
年末も差し迫った頃に「お前彼女いてるんか?」と聞いてきたので、いないと言う事を告げると、「お前に是非、逢わしたい女がいてるねんけど紹介したろか?」と言ってきた。

お見合いなんて恥ずかしくて・・・。

でもどんな女の子なんか気になるしなぁと躊躇してたら、「メチャ美人やで!」と言う言葉に間髪いれずに 「お願いしますっ!」と返事した(^^♪


なんで俺なんか?? そんなに美人やったら自分が行きゃあいいのに・・・とか、当日までに色々と思い巡らせたが、ダメもとで何事も経験!とばかりにハラを決めた。

場所は松友の家。
俺は前日から松友の家に泊まっていて、あれこれと紹介してもらう女の子について聞いていた。
中学時代のクラスメートで、松友の中学は男女共に仲がものすごくイイらしいが、俺の中学では考えられない。


約束の時間通りに「こんにちわ」と可愛い声。

うわっ、来た!どうすんの〜〜俺ぇ!!(-_-;)

初めてのラブレター

1年生の時はボクシング漬けで周りを見る余裕さえなかったと言うほどだったが、新人戦で優勝し、2年生になり後輩が出来きたりして高校生活を楽しめるようになってくると、女の存在が気になり始める。。。
クラスでも「昨日はデートでどこどこへ行った」とか「あそこのラブホテルは高いけどエエで〜」と言った話に興味津々で、「JOHNNY、彼女は?」 と聞かれても答えられなかった。

幸山という奴が「いつも同じ電車にカワイイなぁと思う子がいてて、今度思い切ってラブレターを渡したろうと思ってるねん」と言い出したので、今後の参考のためにその内容を見せてもらった(^^♪

「見せてくれ!」と言う俺も俺だが、機嫌よく見せる方も見せる方やで (^○^)
歯の浮くような文言が並べ立てられていて、(俺、こんな事 恥ずかし〜て、よ〜書かんわ たらーっと、読むほうが恥ずかしいいような内容だったが、ここまでして書かないと女心はつかめないのかと思った。。。


欲していれば見つかる・・・。

それでなくても気は多いほうだった俺は、それからしばらくして俺の家の近くにある女子高生が気になり始め、幸山から見せてもらった内容を参考に生涯で初めてのラブレターを渡した。
俺なりに自信はあったハート大小

翌日、速攻で返事を渡された。
ニコッっとしながら渡してくれたので、(ニコッと渡してくれたと言う事は・・・ これはもしかすると、もしかするでぇ〜 ラブときめき
もうすぐ試合もあるし、彼女の前でええカッコ出来るがなぁ〜〜 (^^♪ とワクワクドキドキして学校のトイレで読んだ。


“ゴメンなさい。。。ワタシ彼氏いますので・・・”

「・・・ (-_-;) ・・・ウソぉ・・・ だったら微笑みながら渡すなや!」 ショックと言うより情けなさと恥ずかしさで、1時間目はズッとトイレの中から出なかった。。。

その経験から、女の “ニコッ” ほどアテにならんもんはナイ!と思ったのは言うまでもない。
この意味不明な微笑みにナンボほど騙された事か。
つい最近で言えば、25年ぶりにした同窓会で再会した女とか・・・(ーー゛)

男は単純で純情な生き物なんですな〜〜〜


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